三次元の解像度3(上巻のサンプル)

上巻を2022.3.24春コミで発行しました。
成人向け/文庫/小説/96p/本文43909文字

中巻を8/28 GOOD COMIC CITYにて発行予定です。通販については8/28のイベント後を予定しています。上巻の通販も中巻販売開始と同じタイミングで再開します。

こちらは上巻の本文書き下ろし部分のサンプルを一部抜粋しています。

※Caution※
・口調・三人称等は現パロなので適宜現代語っぽく変更している箇所があります。
・R18シーンはリバ描写しかありませんが、ほかのシーンはカルジュナ/ジュナカルどちらとも取れる描写をしています。
・暴力シーン(殴り合い)有り。

サンプル抜粋1

 ふた粒、涙が落ちたのを覚えている。
 最初の日の夜、我知らず泣いたアルジュナにカルナはやさしかった。アルジュナの内情につとめて触れず、思慮深く沈黙を保った誠心にカルナの人間性の根の部分を見たように思った。
 ただ、指先でアルジュナの涙と頬に触れたあの一瞬。我知らず、といった様子で無垢に手を伸ばされたから、アルジュナの方も伸べられた指先を同じくらいの無垢さで受け入れた。瞬き二回分ほどのほんのひととき、アルジュナに微かに触れた男は、指先を離しても無防備な顔でアルジュナを見つめていた。
 やわらかな、一見憐憫や慈愛から生じたような行動だったが、カルナの様子を見るに彼の意思に根差した無私の思いやりから生じた行動ではなかったようだった。おそらくだが、カルナというひとは意思や意図を伴わずに他者に触れる人間ではないだろう。
 それでも、ふと、といった風情で伸ばされたカルナの、あのあたたかな絵を描く画家の指先。その感触がほんとうに微かであっただけに、眠れば夢のあわいに溶けてしまいそうで、目を醒ませばもう覚えていないかもしれないと、その時はただそれだけを思った。

 やわらかいものに包まれて、あたたかい心地よさのなかで目醒めた朝。
 寝起き直後のぼんやりとした心持ちのまま無意識に顔を埋めていたものに頬擦りする。しばらく鼻先を埋めてそのにおいを吸い込んでいるうちに急速に意識が鮮明になり、がばりと身を起こす。眠っていたからだを包んでいたのはカルナのブランケットだった。昨夜カルナに掛けてやったはずのものがまた掛け返されている。当のカルナは既に起き出して部屋におらず、気配から出かけたわけではなく家のどこかにいるらしかった。
 いいにおいがする。夢現とした意識のなかで、そう明確に認識してはっきりと目が醒めたのだ。例えるなら日向のにおいを心地よく感じる。そういう種類の〝いいにおい〟に近かった。花や果物の、植物の瑞々しい香りでも、フレグランスや洗剤の設計された香りでもない。そう、体温を持つ生き物のにおいのような。
 おそるおそる、いま一度そっとブランケットを嗅いでみる。明らかに心地よさの根源はこれだった。来客に対する備えはないと言っていた。という事は、このブランケットはカルナ自身の普段使っている寝具だろう。つまり、この〝いいにおい〟はカルナのにおいだ。
 自分のものではないにおいの染み付いた寝具というものに安堵した経験など、母や兄たちとのはるか遠い記憶のなかにしかない。
 ブランケットを握りしめたまま呆然と部屋を見回す。意識的に鼻を動かせば、遅い朝のひかりを湛えた空間には微細に同じにおいが満ちている。そもそもがここはカルナの家だから、それは当然のことだった。変な姿勢で眠った筈なのにからだは妙にリラックスしている。呆然とする自我とは別のところで身も心も安らいでいた。
 泣いたことや頬に触れられた指先の記憶、カルナのにおいに対する己のリアクションに自分自身が置いていかれている。これは一体どうした事か。己が解けてしまいそうな、心許なくも身を任せてしまいたいような。そういうふわふわした心地。
 己を律する事を良しとするアルジュナには自己が曖昧である事は耐え難かった。
 いまこの時、この思考を続けたくない。そしてともかく、体を清めたい。
 考えてわからないのなら、一度そういった思考から離れて気分を変えるに限る。シャワーを借りよう。
 正直、こんな動揺した心持ちで、動揺の大元たるカルナに話しかけるのは勇気がいった。
 結局、声を掛けた洗面所で致命的なセルフカットに勤しむカルナを見つけてしまったことと、その後のあれそれですべてが一時吹き飛んだわけだが。

 アルジュナは考える。自分はもしかしてカルナに恋をしたのだろうか。その可能性はじゅうぶんあり得たから。
 しかし、これまで人生をひと時交えたかつての恋人たちとの時間を思い出しても、これは恋とは違うものだとアルジュナは結論した。考えをまとめるには早計かもしれないし、ひょっとしたらひどく似てはいるが別のなにかなのかもしれないと。
 しかし、カルナの髪に触れ、陽光を映した瞳の透き通った空色を近々と覗き込んだとき。自身がカルナからの言葉を喜んだとき。または受け取れなかったとき。これは恋ではないとアルジュナは己に断言した。
 恋、というには悲しみが強すぎた。虚だった。重苦しい青い悲しみが自身を覆っているイメージ。それが離れない。
 そもそもがろくにカルナを知らない。それまで知らなかった相手にふとしたきっかけで突然恋情を抱くことはあり得るかもしれない。しかし、蓄積した関係性がないにも関わらず、まず悲しみが先に立つのは異常だ。すくなくともアルジュナにとってはそうだ。
 アルジュナにもこれまでの人生がある。恋が楽しく心満ちて、きらめく幸福であるだけのものではない事は当然、すくなくない経験から知っている。想い届かない苦しみも、恋を失った痛みだって、知っている。しかし、そういう苦悩が、すくなくともそれらがまだ恋のまま孕む陰とは明らかにいまのこれは質が違った。終わろうとも幽けく甘やかであったかつての恋たちとは違うすがただった。
 愛は有り触れたこころだ。等しくどんなものにも宿りうる。
 実のところ、愛があるから特別だ、いう考えをアルジュナは重要視していない。アルジュナ自身が人並み外れて愛情深い性格だという事実と自覚がなせる視点だった。
 カルナに対して、そういう意味で愛、はあるのだと思う。そもそもカルナの作品を愛したからこそ、ここまで来た。カルナと語った。
 つくり手と作品は別の存在だが同時に不可分な領域も残される。その不可分な部分に惹かれている? いや、違う。画家たるカルナには当然惹かれる。ファンとしてだ。だが、一個人として相対したとき感じる、この感情は、思いはいったいなんだ。
 寂寞。これがいちばん近いかもしれない。恋というには、あまりにも。やはり違うだろう。まとまりかけては散らかって縺れる思索を続けるうちに、なにかはわからない、でも、己の死骸を抱くことがあれば、こんな気持ちなのかもしれない。そんな、なんとも形容し難い気分に着地した。

サンプル抜粋2

「何故、己を賤劣であるかのように語る。おまえには確かな自我があり、己が技量に裏打ちされた自信を憚る事なく示す事を恐れない。どの分野でも何者もおまえを超える事は難しいだろう。それはおまえの魅力のひとつだ。だというのに、その物言いは」
 傲慢ではないか。なにが寂しい? なにを悲しむ、アルジュナ。
 カルナはいつもと変わらない態度で真っ直ぐにアルジュナを見据えてそう言った。
 瞬間、怒りが迸った。視界が歪むほどの激しさを伴って、アルジュナの裡を灼いた。
 カルナの知性により研ぎ澄まされ透徹したその視線が、己の抱える闇の一端を暴く。
 おだやかな諦念を揺籠に、ただ己が己でしかないという胸の奥深くに抱き宥める絶望。同時にそのかたちを己だけが知り見つめる寂しさがアルジュナが自身を全きものと肯定できる証明になり得ていた。それはある種の停滞した、しかし限りなく無垢な安寧でできた救いでさえあった。アルジュナだけの闇が。悲しみが。ほかならぬカルナに詳らかにされた。私を、見られた。
 まだカルナといたいという儚い願いと、遠くない未来にこの時間が終わってしまうという絶対的な直感に裏付けられた名残惜しさ、無意識で押し込めていた危うさを共に抱え続けた感覚。
「私を、見たな」
 抱え続けたあらゆる想いを感情を突き破って、殺意が芽吹く。確かにいま、一線を超えた。
 もう戻れはしないだろう。

 アルジュナに投げ飛ばされて、派手な音をたてて床に落ちた描きかけの絵の上をカルナの痩せたからだが転がる。乱れて目元にかかった白銀の隙間からぎらりとアルジュナを睨み据えた視線は、常の涼やかに見目良い容貌をこの世ならざる存在の如く凶暴な色に染め凄まじい迫力で、アルジュナの背筋がぞくりと震える。
 目の前のしろい男は床に伏せながらも常とは違う、明らかなアルジュナに対する攻撃性を帯びた気配を発していた。凄まじいプレッシャーだ。自分の絵が滅茶苦茶になってもまったく気にしていない。目に入らないといった風だ。アルジュナだけを中心に据えて煮え滾るような感情を露わにしている。突然攻撃されたからか、はたまた別の理由があるのかは不明だが、カルナもまた、激している。
 カルナの様子に更に煽られ、荒れ狂う感情に任せてカルナの肩を掴んで引き倒す。倒れ込んだ体に馬乗りに覆い被さり間髪入れずに短く拳を振り下ろす。無駄のない鋭い一撃にカルナは素晴らしい反射神経で応じ、アルジュナの拳を防ぎながら更にカウンターでその鼻を強烈に打ち据えた。アルジュナは激しい痛みと鼻血が迸るのも構わず、殴りつけられ勢いを増した怒りをそのまま乗せて、カルナの左目を狙い、引っ掻くように殴りつける。間一髪で片目を潰される事は避けたカルナの眉下からこめかみにかけて裂傷が走る。みるみる傷口周辺を腫らしながら流れ出た血が目に入り、カルナの普段清澄な瞳が禍々しい赤に濁った。

サンプル抜粋3(R18シーン)

 急所に歯を立てられて、胸元ふかくまでをカルナの気配に占められた感覚。一拍置いてぶわりと鼻腔に満ちたカルナのにおいにアルジュナの知覚は支配された。体温と汗で普段よりもつよいそれに眩暈が強まる。
 決定的だったのは唇と歯を充てがわれたまま、ふかく熱い呼気と共に肌を舐められたときだった。
 範囲だけで言えばほんとうに僅かな接触でしかない、表皮のほんの一部をカルナに占められているだけのはずだ。なのに、カルナの行いに、信じられないほど性感を煽られた。
 そんな空気ではなかったし、勿論カルナとはそんな関係ではない。互いに否定したところでもある。
 混乱は勿論あった。だが、奇妙な事に思考のどこかでこの流れが当然なものとして起こったとも感じていた。
 耐えきれず、生じた衝動を逃すようにアルジュナの喉の奥から熱い溜め息が溢れる。震えるように身じろいだアルジュナから口を離し、ほんのすこし身を引いたカルナがアルジュナを上目に伺う。
 近々と覗き込む事になったカルナの瞳は驚いたように見開かれていた。瞳孔は限界まで開き、普段空色に透き通る虹彩は赤い色を纏っている。その不思議な色彩を見つめて思い出す。いつか聞いた事がある、色素の薄い虹彩はその色の淡さから、過度に血流がよくなると眼球の裏側の血管が血の色を透かす事があると。手のひらでカルナの胸に触れる。発熱して、激しく鼓動を打っていた。カルナの肉体は明瞭に興奮を露わにしている。
 カルナが自分に興奮している。一瞬アルジュナの意識がしろく燃えた。
 己のなにがカルナの琴線に触れたのかは分からない。呆然としたアルジュナに再度カルナが顔を寄せ、確かめるように今度は耳の後ろにふかく鼻先を埋めた。アルジュナの髪の内側がカルナの深々とした呼気で熱く曇る。
 どこか丁寧な動作で、もう一度アルジュナの様子を確認する為か視点の焦点が定まる位置まで身を引いたカルナが緩慢に目を眇めて、思い出したように唇を舐めた。しずかな部屋に、唾液が唇に纏いつく、生々しい音。
 感情よりも早く、かっと体温が上がり、追って鼓動の速さを自覚する。気付けば飛び掛かって引き倒す勢いで、アルジュナはカルナの唇に貪りついていた。引き剥がすどころか応じたカルナに興奮が加速していく。
 その後は、ほんとうに見境がなかった。
 

 一晩でいったい何度、一線を越えるのか。
「ああ! ああ! あ!」
 モールス信号のように刺激に呼応した一定の間隔で母音が鋭く喉を飛び出していく。音の群れ。
 快感に喘いだ声が絶え間無くあまやかに部屋を満たす。
 乾いた咳が二、三度溢れ、そのあいだも切なく感じ入った声は途切れることはなく、ああこれはカルナの声だったのかと、アルジュナの意識はどこか遠くぼんやりしたまま思考を紡いだ。
 自分の零す声と縺れて、どちらが溢れさせている音なのか判然としない時間が随分と長く続いていた。

↓本文のサンプル(画像)